U  ――グロリオーサ王国に、まだ光が届いていた時代。  あぶない!――丘の上、幼い少女は、頭上の大木を見上げて叫んだ。子供が、木をよじ登ってい た。 「あぶない! 降りてー!」  少女の声は、子供に届いた。子供は木を滑り落ちて、あっという間に地上に達した。少女は、ホ ッと胸を撫で下ろしたものだった。  しかし、子供――少女より少し年下に見えるその少年は、少女の手を掴んでまた木に密着した。 「あぶなくないよ」 「え、だって――」 「登ればわかる」  少女は多少混乱したが、すぐに少年の意図するところを理解した。 「…私に、この木を登れと言うの?」  少年は黙って頷いた。 「いっしょに登ろうよ。下から助けてあげるから」  下から、と聞いて、少女は首を三度横に振った。 「私、見ればわかるでしょうけど、スカートなの」 「すそ、しばれば見えないよ」  ホラ、と少年は少女の背中を押して、木に手を着かせた。  少女は少年の強引さに戸惑いを隠せなかったが、戸惑いの正体は別にもあった。正直な話、少女 は木登りに憧れていたのだ。先程も、少年を止めてはいたが、その一方で羨ましい気持もあった。  少女は時折、自分が男の子だったらどれ程良かっただろう、と思うことがあった。  ――あぶないし、女の子のやることじゃない。だけど……登ってみたい。  これまでは、両親からも止められていたし、周りの目もあって、自分の気持を押し込めていた。  しかし少女は、意を決した。スカートの裾を縛って、下から見られないようにした。  ――きっと、しわがついてしまう。お母様に、叱られる……  しかし、今更後には引けぬ。決意した少女は、心の重石を跳ね除けた。 「ところどころ、手足の引っ掛かるくぼみとかがあるから、ちゃんとつかんでてね」 「う、うん……!」 「じゃあ、押すよ」  少年は、少女の両太股を掴んで、思い切り押し上げた。少女は足をバタつかせて、なんとか木の 窪みに足を掛けた。そこで一息をついたが、安心していても仕方がない。まだ、地面からほんの少 し離れたに過ぎないのだから―― 「止まってても、つかれるだけだよ。早く登って」 「わかってる……!」  決意は少女を突き動かした。綺麗な白のドレスは汚れ、木の尖りに引っ掛かって所々破けたが、 まるでお構いなしだった。少年も、頭上の様子には驚いていた。 「おねえちゃん、木登りはじめてなんでしょ?」 「そうだけど、男の子たちが登ってるところは何度か見てきたから……なんとなく、わかっていた わ」  憧れていたということは、しっかり見ていたということだ。少女は、この世代の子供としては理 解力が抜群に高く、両親にとっても自慢の存在だった。 「すごいなぁ」 「…てっぺんの枝、着いたわ!」  少女と少年は、遂に頂点まで辿り着いた。そこからは、グロリオーサ王国が一望できた。少年は、 少女が楽しそうなのを見て、尋ねた。 「こわくないの? こんなに高いところに立ってるんだよ。下見るとこわくない? ぼく、はじめ ての時はすごくこわかったよ」 「ここほどじゃないけれど、私の部屋は二階だから。高いところは、慣れているの。あっ! ホラ、 あれが私の家――」  少女の指差した先には、大きな建物が見えた。少年はふーん、と言った。 「…おねえちゃんは、"貴族"のひとなんだね」 「え――」 「せんせいが言ってた。"ルピナス、貴族のひととあそんではいけませんよ。あなたとちがうひと なのですからね"――って」  ルピナス――それが少年の名のようだった。 「だから、ぼく、帰るね。せんせいに怒られちゃうから」 「あっ、ちょっと!」  少女の言葉を聞かずに、ルピナスは木を滑り落ちて、走り去って行った。その先には、小さな建 物があった。 「…ルピナスは、あそこで暮らしている……?」  少女は、その場所を知っていた。  孤児院である。 「…違う、人……」  少女の胸には、ルピナスの言葉がトゲのように突き刺さっていた。そしてそのトゲは、少女の心 に小さな痛みを与え続けている。  それは、少女の嫌いな思想だった。