W 「まだ閉じ込めているのか? 夕食も与えずに?」  寝室。ストケシアの父コリウスは、いつものように隣にいる妻に一言言ってやろうと思っていた。 君はやりすぎなんだと教えてやろうとしていた。懲りることなく―― 「オリエンタ、君の教育は、私には教育だとは思えない。真の教育とは、押し付けではない。いい ことならいいこと、悪いことなら悪いことと、子供に自然と考えさせることこそ教えだ。それを君 は、まるでサーカスの調教師のように強制的な方法で――」 「…煩い」  コリウスの口の動きが止まった。いつもの光景だった。オリエンタの不機嫌そうな声は、コリウ スを凍りつかせてしまう。元々立場が違うのだ。コリウスはあくまで、グロリオーサ王国の中に存 在する貴族の平均より"やや上"の家系に過ぎない。いかに現在のオリエンタが"その程度"の貴族の 妻という立場に"身をやつしている"とはいえ、元は王族の家系である。コリウスとははっきり格が 違う。そう、あまりにも違いすぎた。  ――それでもコリウスは、夫として自尊心を保つために、明らかに心のどこかが破損している妻 の間隙を、度々突こうとしてしまうのである。オリエンタは隙だらけで、しかしそれでも決して中 流貴族などには屈しない女だった。何度敗れても懲りずに挑むコリウスのしぶとさもなかなかのも のではあったが、それでも効果的な反撃は出来なかった。オリエンタを自分色に染めることは出来 なかった。 「…いや、オリエンタ。私はあくまで正しいことを述べているつもりだよ?」 「"王を継ぐ者"に度重なる失敗が許されて? 自分で考えさせる? 違うわ大人が正しい道へ導く のよ。タダの子供ならば貴方のやり方でもいいでしょうよ。だけれどストケシアはいずれこの国を 統べる存在とならなければならないの。それが正しい道常道よ」  オリエンタは、歪んだ声で一気に言い切った。何度も何度も、コリウスに向かって吐き捨ててき た言葉だったので、澱みは全くなかった。  そして、オリエンタはこう結ぶ。いつものように―― 「かつて私もそうやって育てられてきた――"王家の内側"で」 「ここは、王家じゃない」 「私は王家の人間だから王家しか知らないしそれ以外の者に変わる気もないわ。私が私である以上 私が存在している以上ここは王家以外の何物でもない」  コリウスには、オリエンタの言うことの何一つとして現実を感じることが出来なかった。自分の 娘がこの国に君臨する女王となるなど想像さえつかなかったし、実際として自分のような貴族と婚 姻関係を結んだにも関わらず、未だに皇女時代の生活に妄執しているオリエンタに対しても、時に 荒唐無稽な物語の登場人物であるかのような非現実性を感じていた。そう感じられるだけ、コリウ スはまだ平民の感覚を持った貴族であった。 「ストケシアには王になる資格がある。現女王――ノウゼンハレンが子を成せない身体である以上 第二皇女たる私の子が王になるのは必然でしょう? 誰も異論を持つはずなどないわ」 「…わかった、わかったよ。君の考え方が正しい。そうだな、ストケシアは、将来の王国を背負っ て立つ存在になる――そういうことなんだな」  そうしてコリウスは、極めてぎこちなくオリエンタに歩幅を合わせた。 「そういうことよ――ところで貴方、"例の話"はどこまで進んでいるのかしら?」 「養子を取る話か? 忘れてはいないよ」  コリウスはベッドから立ち上がり、窓際で煙草を燻らせた。 「――孤児院と話はしている」 「…孤児院?」 「それしか当てがないんだ。仲間内も探ってはみたのだが」  ベッドからオリエンタの溜息が聞こえたが、コリウスは振り返らなかった。夫婦仲は冷め切って いた。ストケシアが生まれてから数年は、義務的な生殖行為を演じはしたものの、結果の出る兆候 が全くなかったことから、もう二人とも自前でストケシアの下を用意するのは諦めていた。 「…ストケシアの将来を考えれば、下の者の面倒を見ることによって情操教育をするのは良いこと だろう」 「それは私もそう言った……仕方ないわね。背に腹は代えられない」  オリエンタにとって、孤児院から養子を取るというのは考えうる中でも最悪の選択肢だった。し かしそれでも――最下級の子供であっても、受け入れるしかないと考えていた。 「ノウゼンハレンも私という妹を持ったからこそ今では国民に全幅の信頼を置かれる女王になれた の――ストケシアにもそうした過程を追わせることが必要」  よく言う、心の中で笑うコリウス。ノウゼンハレンが、この破綻者の面倒を見ていたからこそ立 派な女王になれたというのだろうか? 本当にお笑い種だと、コリウスは二本目の煙草に火を点け た。 「…その子は、男だ」 「男でも女でも構わない。ただ、その中で一番まともなのを連れて来ればそれでいいわ」  その言葉を聞いてコリウスは安心した。もし頑なに妹を取ることを要求されたら困ると思ってい たのだ。彼は息子を求めていた。純粋に、男として、男を育てたかった。木登りが出来るような、 元気な子がいい。オリエンタが興味を持っているのはストケシアに対してだけだ。養子に来る子は、 孤児院にいるより自由で快適な生活を送れるかもしれない。 「…果たして、掃き溜めに鶴がいるかしら」  侮蔑の感情を込めて、オリエンタは言った。コリウスは煙を窓の外に吐いてから、火を消した。 【ストケシアとルピナス/了】