V  ラケナリの筆は活き活きとしていた。  夢想ではない。本日は眼前にある。  ストケシアという少女――女王ノウゼンハレンの生き写しが、ラケナリの創作に逞しさを与えて いた。  …不思議だ……線を一つ加えていく毎に、この少女が……あの日のノウゼンハレンにしか、見え なくなってくる……  …いや……それは、恐らく、不思議な事ではなく……  …身体だけではなく、心の内まで透け、映し出せるほどに……  …ストケシアの、全てを描ける……違う、ストケシアではない……  …これは、ノウゼンハレン―― 「…君には今、愛する男がいるのだな」 「どうして?」  ――知っているの?  ストケシアは、不思議そうに訊いた。途端にラケナリは目を逸らした。  ラケナリは、"冴え過ぎて"いる。ストケシアのちょっとした秘密は、言葉として生み出されるの を待たずして、他者より言い当てられたのだ。  それも仕方のないことである。ラケナリには、見えていたのだから。 「…悦びを、努めて仮面の中に覆い隠す……昔、同じような表情をした少女を、見たことがあった ……その少女もやはり、恋人を想っていたのだ。それと同じことだと」  苦しい言い訳である。見えていた、などと言えば、ストケシアに気味悪がられると思ったのだ。  誤魔化すつもりもないが、自然と展開を変えようと、ラケナリは出来上がった絵をストケシアの 方に向けた。 「これが……私?」  ストケシアの表情に、瑞々しい驚きが広がった。  繊細な筆致で描かれていたのは、椅子に座った美しい少女である。しかし、描かれている椅子も、 少女の衣服も、実際の姿と比較して相当に豪華な物だ。  だが、そんな小さな違いなど、当のストケシアにとってはどうでもよいことだった。 「確かに私……だけれど……私以外の、誰かのような」 「…それは、君だ」  嘘だ。 「それは分かります。ただ、そんな気がしました。これは私です。私です……」  ラケナリは、ストケシアの中に在るノウゼンハレンを描いていたのだ。ストケシアの違和感は、 まさにそこから来ていた。  ストケシアは絵を受け取り、窓から外を見た。茜空となっていた。 「では、ラケナリさん、私そろそろ――」  去ろうとするストケシアの腕を、ラケナリは掴んだ。強く。 「…もう一枚描かせて欲しい」  ストケシアは、怯えはしなかった。乱暴されるようには感じなかったからである。ただ、理由は 聞いておきたいと思った。 「今のでは、満足出来なかったのですか?」 「…ああ。もう一枚……すぐに描き上げる。日が沈み切る前に」  ラケナリの目には、一点の曇りもなかった。 「…君を、"そのまま"描きたい」  劣情はなかった。  ラケナリに子はない。しかし思う。  …娘の一糸纏わぬ姿を描くとしたら、こんな心境だろうか?  …娘? いや違う。そんなスケールではない。  …これは、神だ。俺の女神だ。  …神に欲情するなど、あるはずもないのだから。  ラケナリの胸の内は、充実感で溢れていた。紙の上に、あの日のノウゼンハレンの、身体も心も、 全てを描き出せていた。あの日からずっと追い続けていたノウゼンハレンの正体を、ようやく捉え る事が出来た。  ストケシアはノウゼンハレンだった。それがラケナリにとっての"ストケシア"だった。  ノウゼンハレンの人型が完成するのは、それから僅か五日後のことである。