W  女2人が寝るには少々広すぎる部屋だった。  2つ敷かれた布団の枕側の位置には、遠近の山々が飽きるほど見ていられる窓が 取り付けられていた。  この風景に宵闇とくれば、本来静寂が似合いなのだが、現実はそうなっていなかった。  男の声。女の声。絶叫に近い、当人達以外から聞くと、今にも昇天するのではないかと 思わせられる性質のもの。  アイゼン=リリーには、この声が具体的にどういった行為から生じているものなのか 皆目見当もつかなかった。ただ、体の底から虚しさと呆れ、憤りとが沸騰してくるのだけは 分かった。  リリーとコルチは並べられた布団に座っていた。  コルチは先ほどから何か飲んでいる。リリーは容器から微かに漂ってくる芳しい香りを 嗅ぎながら、徐々に眠気が増してくる感覚を覚えていた。 「…煩いでしょう」 「この声が?」  当たり前でしょう、と言わんばかりにコルチは容器の中の液体を飲み干した。そして また液体を注いだ。 「カラマも煩いけど、相手の女も相当。毎日こんな。本当嫌になる。明日戦があるのなら、 あんなことしていないで早く眠ればいいのに――」 「戦?」 「リリーは聞かされてなかったみたいだけど、明日、ヤマガ山の連中との戦いがある。 朝早いから、早く寝て欲しい……これ飲んでも眠れない」  コルチが飲んでいるのは、アルコール濃度の高い酒に北陽樹の樹液を混ぜたものだった。  北陽樹の樹液には、強力な睡眠作用があり、毎晩のように男女の騒音に悩まされている コルチにとっては欠かすことのできない習慣であった。  しかし、コルチはもう数年これを飲み続けており、最近は樹液の量を増やしてもなかなか 寝付けなくて悩んでいたりした。 「ねえ、コルチ。1つ訊いてもいいかしら」 「なに、リリー」 リリーは素直に疑問を口にする。コルチは酒を口一杯に含んだ。 「彼らは何をしているの?」  コルチはそれを聞いて、勢い良く口の中の酒を布団に向かって吹き出した。  リリーはそれに静かに驚き、不思議そうに、咳き込んでいるコルチを見ていた。 「…大丈夫?」 「けほっ……リリー、それ、本気で訊いている? 冗談ではなくて?」 「?」  リリーは、コルチがどうしてそんなことを言うのか、全く理解出来ずにいた。 「…リリー、知らないんだ」 「知らないわ。何が何だか分からないもの」 「あたしより、オトナなのに?」 「大人のすることなのね」  コルチはもう一度飲み直した。それから、 「獣の行為よ。人間が獣になるのは、殺戮のときと、それから――」  突然、コルチが黙りこくった。  コルチの頭に蘇ってきたのは、ある記憶。ある――凄惨な記憶だった。 「…コルチ」 「……………………」 「コルチ」 「…………快感だわ」 「…快感?」 「奴らは、身勝手な快感を欲しがる時、人間じゃなくなる。あたしは自分の身でそれを 体験したわけじゃない。だけどあたしは見た。人間が獣になる瞬間を。それをあたしは 自分の――」  ここまで言って、ハッとした表情でコルチはリリーを見る。そして頬を赤らめて、また 容器の酒を飲み干した。 「…とにかく、勝手な行為なのよ。あたしは自分の身をもって知りたくはないし、あまり 言いたくもない。リリーだってきっとそうだと思う」  確かに、こんな声は出したくないし、私には出せない――リリーはそう結論付けた。  リリーは気づいていないが、その“行為”自体は先ほど森の中で、野蛮な山賊達の 余りにも先鋭化された思考を受け取ることによって知っていた。ただ、それと今近くの 部屋で起こっている出来事とを結びつけることがどうしても出来なかったのだ。  コルチは、酒がなみなみと注がれた容器をリリーに差し出した。 「リリーも飲んで」  リリーは、首を横に振った 「どうして?」 「飲みたいと思えないの。御免なさい」 「…あたしの唾液がついている容器だから?」 「それとは、関係ないわ。ただ、飲みたいと思えないだけ」  コルチは、それならと容器をリリーの鼻に近づけた。 「匂いを嗅いでよ。初心者なら匂いだけでも眠れる」 「なぜ、眠らせたいの?」 「なぜ、って……リリーを“視る”ため。そのために、あたしはカラマに頼んだの。 眠っている時は、夢もそうだけど、奥のほうの記憶、感情、思考が少し表に表れてくる から掬い取ることができる」 「そんなことが、出来るの」 「冴えている今は、ね。あたし、生理の時は普通より研ぎ澄まされているから」 「…生理……?」  リリーは、不思議そうな顔をしたまま、眠りに落ちた。  数分後、コルチはリリーの口元に耳を寄せ、寝息を聞いていた。静かだが、確かに 寝ているということが確認できた。 「大丈夫そう……じゃあ、やるか」  コルチは、リリーの唇を奪った。