Y  ゴレムを取り囲む山賊の数は、少なく見積もっても30人というところだった。  その光景を見た瞬間、アイゼン=リリーは激しく狼狽した。まず、数が多い。 1人ではとても太刀打ちできない。そう思った。  リリーは木陰に身を隠していたが、いつまでもこうしていては、そのうち連中によって ゴレムが何か辛い目に遭わされるのは間違いない。否、ああして見知らぬ、その上にとても 善人そうに見えない男達に囲まれているだけで、相当に心細く、怖いことだろう。  リリーは、胸に手を当て、大きく息を吸った。そして吐いた。 「なんなんスかねえ、このデカ物」  山賊の1人が言った。別の山賊がそれに答えて、 「石像だろ?」  また別の山賊が言う。 「まあなんでもいい。しかし、こりゃホントなんなんですかねえ、頭ァ」  なんでもいいと言った癖に、この山賊団の頭に話を振る。全体にゆるい空気が流れている 小さな山賊団だった。 「コイツ、動くんじゃねぇか?」 「ええー」 「昨日はこんなモンなかっただろがよ」 「まあ、そうっスね」  この間の抜けた声の山賊は、今自分の背後から迫り来る、鋭く風を切り裂く音に 気づかなかった。 「ゲボリャッッ!?」  勢いのついた空中膝蹴りを後頭部に喰らい、妙な叫び声を残して倒れた山賊。リリーは 着地すると、ゴレムのちょうど真上にあった木の枝から、ル・レーブの糸を解いた。 「――私の弟に指一本触れないで」  それを聞いた山賊達は、皆一様に首を左右に動かした。そして、 「弟?」  と言った。リリーがゴレムの頭部の先端を撫でると、今度はそこに視線が集中した。  そして、森に響く笑い声。 「そッ、そんな石の塊が弟! くははっ!!」  今一真剣味の薄いこの山賊団の象徴のような頭は、どうやら笑い上戸のようだった。 他の部下達が笑うのを止めても、頭は地面に蹲ってひーひーと面白苦しそうにしていた のである。 「…見ただけでは、石の塊だと思うかもしれないけれど――」  静かに、リリーが口を開いた。 「ゴレムは、土で出来ているのよ。堅いけれど、でも、とても暖かいの。あなた達は、 この子が生きているように見えない? この子には意志があって、きちんと言葉も発して いるのに、それにも気づかないの?」  蹲っていた頭が、頭だけ起こして、リリーに、 「…今の……」 「…何?」 「“石”と“意志”を、掛けたの?」 「…………」  リリーの不思議そうにしている表情を見て、再度頭の笑いのツボが突かれた。 「げひひひひひひひ……!!」  リリーは、どうしていいのやら分からなかった。ただ、苛々していた。 “何が、そんなに面白いの” “ふざけた人達” “ロクな島じゃない”  リリーは“ゴレムに触れたまま”怒りを面に出してしまっていた。  敵に囲まれ、リリーにも余裕はなく、触れた瞬間にゴレムの精神状態を慮ることを しなかった。もしそうしていれば、最悪の事態は引き起こされずに済んだはずだった。  ゴレムは、とても怯えていた。たくさんの知らない、怖そうな人達に囲まれ、しかし 愛する姉から動くなと言われていて、どうすることも出来ずにいたのだ。大きな体に 小さな心を収めているのが、ゴレムなのである。  そんな追い詰められた心的状況にあるゴレムへ、とどめとばかりに苛々を流し込んで しまったのが、“最愛の姉”リリーだった。  ゴレムは、のそりと動き出し、立ち膝になった。そして、地が割れんばかりの叫びを 体全体から発した。     キィィィィィィィィィィィィ――――――――――――  音は、一瞬にして島全土に響き渡った。  それは、人間の神経に障る音で、皆耳を塞いでいた。  スナップドラゴン山賊団の面々もそうしていたし、もちろん、コルチも――  コルチは、音のほうに目をやった。  先に、視ていた。こうなることを、コルチだけが予見していた。音を発するのが何なのか までは、占いでははっきりとは見て取れなかったが、それは今、理解した。 「…巨人……?」  状況は理解出来ないが、コルチの中で、ある1つの答えが導き出された。 “アイゼン=リリーは、あれに乗ってこの島にやって来たんだ”――  コルチは、再び走り出した。余りにも目立つ目印へと向かって。  リリーは瞬間、ル・レーブで自分の指定席に達していた。  肩を走り、ゴレムの巨大な顔の頬の部分に耳を当て、そして、 「どうしたの? どうしたのゴレム!?」  そう叫んだ。しかし、ゴレムの声は、聞こえなかった。  聞こえるのは、様々な音が雑然と入り混じった、捉えどころのない思念の浮雲だった。  今度は、正体の見えないそれらが、リリーの中に流れ込んでくる。  それは、怒りであり、憎しみであり、破壊衝動であり、殺意であった。  そうして激しい頭痛に襲われたリリーは、痛みを撥ね返そうと、 「…ゴレム!! 大丈夫ゴレム!? このままここを出ましょう! 海へ出るのよ、 ゴレム!!」  リリーの言うことを聞いてか聞かずか、ともかくゴレムは完全に立ち上がった。  そして、その足は、真下の山賊達へと向かって下りていった。  山賊達は悲鳴を残して次々と逃げていく。しかしそれでも、先程の騒音の中でも―― 頭は、構わずに笑い続けていた。 「――! 駄目、ゴレム! 踏んではいけない!!」  足は、完全に下りる間際、止まった。そのままさらに前に出して下ろし、頭は知らぬうちに 生かされた。  しかし、ゴレムは止まらない。 「!」  ゴレムは、走り出した。  威容を揺らして、ゴレムは駆ける。北へ、北へと――  途中、スナップドラゴン山賊団の根城が“足に引っ掛かって”無残にも破壊されて しまったが、それももはや些細なことだった。  リリーはひたすら、叫ぶ以外になかった。 “悪いのは、私だ――” 「ゴレム!! 御願い、止まって!! ゴレム!! 私の声が届かないの!?」  今までに出したこともないような大声を出し、リリーは必死に止めようとした。しかし それでもゴレムは止まらない。 「御免ゴレム!! 私が――お姉ちゃんが悪かったわ! 怒るのも分かる!! 分かるけれど……! これは、いけないことなの! ねえ、止まってゴレム!!」  涙が出るほど、リリーは叫んだ。相変わらずゴレムの中は混沌としていて、リリーは 声が届いているのか届いていないのか、まるで分からなかった。  リリーは叫ぶのを止め、語りかけるように、 「…そう、私が悪いの。あなたは何も悪くない。私が、自分勝手にゴレムを1人にしておく から、寂しいし、怖いし、暴れたくもなるわよね……でも――普通の人は、あなたを見たら」  リリーは、下を見た。山賊が腰を抜かしている姿があった。 「…ほら、ああして驚いてしまう。私は……私達は、今後、どうしていくべきなのだろう。 あなたに我慢はさせたくない。けれど――」  ゴレムが人のいる島で自由に動き回れる方法など、リリーには思いつきそうもなかった。  今はそんなことを考えている場合ではない、そうリリーは首を左右に振り、もう一度、 ゴレムに思いを伝えようと考えた。叫ぶ瞬間、リリーの涙がゴレムの頬に落ちた。 「――ゴレム!!」  リリーは、自分以外の誰かも一緒に名を叫んだことに気づいた。  身を乗り出して真下を見ると、そこには少女がいた。  それは、コルチだった。  リリーはそれを見て、衝動的に飛び下りた。  ゴレムは、不思議と止まったのだ。  コルチは、少し後ずさりして、落下してくるリリーに備えた。  上空のリリーが、どんどん近くなり――そして、着陸した。  足が深く地面にめり込んだが、リリーは何ともない様子で、 「コルチ!」 「リリー! あたしも……あたしも連れて行って!!」  予想もしない言葉に、リリーはキョトンとする。  しかし、コルチはずっと前から、このいきなりのタイミングで言おうと決めていた。  そうすれば、きっと上手くいく――それは自らの占術に拠らない結論だった。 「…あたし、生まれ変わりたい」  リリーは、今にも泣き出しそうなコルチの手を、何も言わずに引き寄せ、片方の腕で 小脇に抱きかかえた。そしてもう一方の腕でル・レーブを繰り、ゴレムの肩へ戻った。  その時、やっとコルチの追っ手が追い付いて来た。 「トイレが長すぎる」  とカラマの命を受けた彼らだが、ゴレムの奇声に長い間苦しめられ、暫く任務を忘れて いたため、結果的に遅れたのである。今更来ても、もう遅かった。 「ゴレム、海へ出ましょう」  今度は、ゴレムはリリーの言うとおり動いた。その次にリリーに何か言った。それを 聞いて、リリーは疲れた笑顔を作った。そして、 「いいのよ」  とだけ言った。  アイゼン=リリーは眠っていた。叫び通しで疲れ果てたのだろう。  コルチはといえば、はじめて島の外へ出た高揚感もあり、今自分が乗っている謎の物体の 正体のことなど、考えもしていなかった。  無防備に眠るリリーの唇を凝視しながら、コルチは何故自分がこんなにもリリーに惹かれる のか、と考えていた。その答えは、リリーの顔をはじめて見た瞬間から分かっていたのだ。 しかし、それを認めたくはなかった。正確には、“それ”に関連する出来事について、 少し触れるのも嫌だったのだ。  しかし、今は島からも離れた。“それ”を過去あったこととして、他の過去の出来事と 平等に扱うことも、努力すれば出来るのかもしれない――コルチは、その可能性に気付いて、 無性に興奮していたし、感動さえも覚えていた。 「…あたし、変われるかもしれない。アイゼン=リリー……いえ、ネリア姉様」  コルチは、もう認めることにした。  実の姉と、リリーの顔立ちが瓜二つだということを。  もう、島は離れた。あたしは、強くなる――  コルチは、“それ”が起こって以来はじめて、姉の名前を口に出したのだった。 「…ありがとう」  コルチは、リリーに口づけした。自分が幼い頃、姉にされたのと同じように。 【アイゼン=リリーとスナップドラゴン山賊団/了】