U  根雪であった。  雪は深く降り積もっており、アイゼン=リリーの下半身を包んだ。  ドレスのスカート部分が水で濡れた。それを引きずりながら、リリーはひたすら 進んで行った。  ゴレムは先行して行っている。降りたリリーの方が進行速度が遅いということである。 しかし、ゴレムの肩からでは下が霞んで見えた。リリーが探しているのは人間だ。 人間の住む民家である。ゴレムの上からでは見落とす公算が高い。  リリーは、雪の下に確かに存在する地面を感じ取りながら、歩いた。  そうしている間にも、コルチの体力はどんどん落ちていっていた。  心臓の音が、リリーに伝わる。歩きながらも、リリーはそれを敏感に感じ取っていた。 “まだ、大丈夫。けれど、少しずつ音が弱まってきている”  コルチは、小さく息をしていた。確かにまだ、生きている。だが――命は、どんどん か細くなってもきている。  リリーは、純粋に、寒さというものは恐ろしい、と思った。  寒さは、体力をこんなにも奪ってしまう――と。  そして、寒さを全く意に介さず動ける自分自身を、訝しく思った。  降りてからどのくらいの時間歩いただろう。リリーは内心焦っていた。  探せど探せど、民家は無かった。  ゴレムも、顔を左右に動かし、必死そうに探している。それでも、やはり見つけられて いないようである。  コルチの音は、徐々に、しかし確実に、小さくなってきていた。  リリーの両手は、コルチの背中の肉の感触を覚えてしまっていた。それが分かるほど、 コルチは薄着だった。今思えば、シャガ島は温暖な島であり、防寒着などさほど必要では なさそうだった。だからコルチは、白いローブ一枚を纏っただけで、この極寒の地へと 足を踏み入れることとなってしまったのである。  リリーは、はじめて祈った。 “どうか、コルチを助けて”  何に祈っているかは、彼女自身分かっていなかった。それでも、疑うことなく祈り続けた。 “コルチは『生まれ変わりたい』そう言ったわ。それは、死にたいという意味ではなかったはず” “生きたいと望んでいるいきものが生きられないのなら、この世界には絶望しか残らない” “こんなところで、死ぬべき人間ではないでしょう?” 「御願い……どうか――」  ――リリーの動きが、止まった。  そして、数秒の後、再び歩き出した。今までよりも速度を上げて。  リリーは、ある方向に向かって、一直線に進んでいる。脇目も振らず、真直ぐに。  白に染まった世界の遠くに小さく、暖かい木の色の塊が見えたのだ。 「あった……あった、あったわ……」  その中は、天国だった。  暖炉の中では薪が燃え盛り、それが人間の住める空間を形成してくれている。  家の造りはしっかりとしていて、熱が外に逃げることも無いし、寒さが入り込む こともない。  家の中には、他にベッドやキッチンがあったが、大部分を占めていたのは、ボタンや レバーの沢山ついた、妙な形状の巨大な窯のようなものだった。  そして、暖炉の近くにはロッキンチェアーがあり、老人が座っていた。 「…次は……何を創ろうかのぉ……」  老人は暖かさのせいか、うとうとしていた。  その時音がして、急激に室内温度が下がった。  老人は眠気も覚めて、ドアの方に目を向けた。そこには、黒いドレスの女がいた。 「何者だ、アンタは」 「私は、アイゼン=リリー。どうか、御願い。この子を助けて!」  女は、アイゼン=リリーと名乗った。背中に背負った少女は、小さく震えていた。 「酷い熱だよ……」  老人は、自分のふかふかなベッドに、コルチを寝かせてやった。 「しかしアンタ、無茶じゃ、これは。なんだい、この娘さんの薄着は」  老人は言って、コルチが先程まで羽織っていたずぶ濡れのローブを両手の指で 摘み上げた。コルチは、老人お手製の厚手の肌着を上下着せられていた。 「これ一枚しか着ていなかったぞ。これでは、ぶっ倒れて当然じゃ……お前さんら、 どこから来た?」 「私達は……遥か西の、シャガ島というところから」 「シャガ島? そんな島があると……どうやって?」 「…え?」 「どうやって、ここまで辿り着いたんだ? その、シャガ島とかいうところから。 まさか船ではなかろう?」  どうしよう、リリーは狼狽した。  思えば、こうしてはっきりと「どういう手段でやって来た?」と訊かれたことは、 今までなかった気がしたのだ。  しかし、こうも思った。いきなりの訪問者を、手厚く迎えてくれたこの懐の深い 老人ならば、知られても構わないのでは――と。それに、知られて何か不穏な動きを されたとして、他に人間はいない。  問題はないわ。リリーはそう判断した。 「私達は、巨人に乗ってここまでやって来たの」  あえて“弟”とは言わなかった。リリーも、それなりに学習をしていたのだ。無用の 詮索を受けることは、良いことではないと思った。  勿論、弟のことを巨人などと呼びたくはなく、リリーは心の中でゴレムに詫びた。 「…あの、窓の外に突っ立ってるデカいのかい?」  リリーの読みどおり、老人に変わった様子はなかった。ただ、眺めているだけだった。 目つきが幾分鋭くなって見えたのが、唯一気に掛かったものの。  やがて、老人はリリーに向き直った。目つきは元に戻っていた。 「あれには、難儀しておるだろう」 「え?」 「あれだけ図体がデカいと、他の島では苦労したじゃろう」 「…ええ、とても。あの子にも、悪いことをしてしまった」  暴走を思い出し、心の痛みを思い出し、リリーは思わず俯いた。  それを見て、老人はニヤリとして、 「創ってやろうか」 「…何を?」 「あいつを隠す道具さ」 「隠す……そんなことが、出来るの?」 「あぁ。ワシが今から言うモノを、採ってきてくれればな。なぁに、あの子が目を覚ます までには終わる仕事じゃて」  リリーは外に出た。獣の毛で編まれた赤いコートと帽子を被って。  コートと帽子は、最初必要ないと断るつもりだった。しかし、たとえ必要なくとも、 好意から来る勧めは受け取っておいた方がいいだろうし、その方が状況から鑑みて 不自然ではなさそう、と思った。  ここまでの旅で、どうやらリリーも世を渡る術を身に付けつつあるようである。 「ゴレム」  待っていたゴレムが、リリーの傍に来た。 「ここから北西、山あいに向かって。あなたにとっても、いいことよ」  リリーが家を出る前、老人は言っていた。 「帰ってきたら、ゆっくり話そうや。あんたの知りたいことも教えてやろう」