X  隣ではコルチがすやすやと寝息を立てている。アイゼン=リリーはコルチを起こさない よう静かにベッドから抜け出た。寝惚け眼を二、三度擦り、今度はしっかりと、薄い光の 中心を捉えた。中心にあったのは、巨大な窯のようなものだった。  そして、その光の中に老人の姿があった。ロッキンチェアーを揺らしもせずにただ じっと窯の中を眺めている。どうやら光は窯の中から漏れ出ている。声を出すのが憚られて、 リリーはそっと老人の背中に近づく。光は至極淡い。だからこそ、光が目に刺さることも 無く光源を見通せる筈なのだが、それが出来なかった。リリーは小さく首を傾げた。  ふと老人、あんたには見えるかい? リリーはいいえ、何も。 「そうか。この方々はやはり、並の生物ではないんじゃろうか……いや、そもそも、 生物と呼んでよいものなのか……」  光の中心にいるのは、リリーには見えない、老人には見える、特殊な存在なのだという。 老人は、ぼそぼそと呟く。不思議とリリーに向かって話している雰囲気はなかった――  …ワシは30年ほど前、北の街を出た。当時は地道に仕事をこなす家具職人じゃった。 修行を積み、日々の生活に支障が出ん程度に稼げるようにもなっていた。  だが、限界を感じた。街を出る二、三年前から常に感じていたよ。これから自分が どの程度の人間になれるのか、ワシは30の頃には分かってしまった。家具職人の中で ひとかどの人物になることに、どれ程の意味があろうか。子供の頃から、ワシは物作る 手を持ち、何でも作れた。神童とも呼ばれた。子供の頃のワシには無限の可能性があった。 靴職人にもなれたし、鍛冶職人にも、菓子職人にも、宝石細工職人にもなれた。そんな中で 家具職人の道を選んだのは、家具職人しか弟子の空きがなかったからじゃ。ワシは自分の 家具職人としての技術が頂点に近づいた頃、その事を思い出したのだ。  30も過ぎて、愚かだと思うか? リリーは小さく首を横に振る。  …ワシは、万能職人になりたかったんじゃ。そのことに、30を過ぎた頃やっと気づいた。 そして、これは今でも偶然とは思えんことなのだが……その、煮詰まっていた時期に、この 方々が工房を訪れた。そう言って老人は、光源をちらと見た。相変わらず、リリーには何も 見えなかった。  …見事なものじゃったァ。仕事ぶりは極めて勝手気侭。材料さえあらば鞄も靴も菓子も、 瞬きする間に作ってしまうのだからなあ。話には聞いていたが、この目で見るまでは 信じられなかった。南の森――ここから北に、かつてあった森じゃ――には職人妖精が いる。彼らは、夜ふらりと人里に現れ、食料を盗み食いする。そしてその時の気分次第で、 素晴らしい品を作り置き土産として置いていく……ワシは、その時ばかりは神を心底から 信じた。きっかけを与えられた気がした。満足して出て行った職人妖精達を、ワシは執拗に 追い掛けた。また、愚かだと思おうが、ワシはこの方々に弟子入りするつもりでいたのだよ。 全く、確かに、人が聞いたら笑うじゃろうな……笑う老人に、いいえ、希望に溢れていて 素晴らしいわとリリー。ありがとうよ、リリー。そう老人は優しく言うのだ。 「…偶然とは思えん、とワシが言う理由はもう1つあってな――南の森が、なくなっていた んじゃよ。追い掛けて行ったら、どこにも森がない。あるのは、夥しい数の切り株だけ じゃった」 「…かつての御爺さんの家に、職人妖精がやって来たその夜には……」  老人は頷いた。あの夜だけは、気まぐれではなかったんじゃ。行くあても無く、ワシの 家に迷い込んできたんじゃ。運命を感じたよ。この方々には申し訳ないが――ワシは、 この上なく幸運だと思ったさ。  その後、ワシは予め持ってきていた保存の利く食料で職人妖精達を先導し、街から遠く 離れた、森よりさらに南の雪原に、とりあえず雪が凌げる程度のものだが、掘立小屋を 建てた。妖精とて雪は嫌なものらしく、小屋の外には滅多に出なかった――普段は光り もせず、隅の方でじっとしておる。この小さな方々は、常にこの家の中におったのだよ―― ワシはそれからひたすら木材をかき集めた。防寒着を身に付けていたとはいえ、寒さは 如何ともし難く、とても辛かったが、木材を集めるたび、みすぼらしい掘立小屋が立派に 育ってゆくのを目の当たりにすると、苦しさも吹き飛んだ。材料集めを始めて10日程で、 今の形になったのじゃ……リリーは四方を見渡し、目を回した。10日で出来る家とは、 到底思えなかったからである。 「…見えないけれど、そんな彼らが今、作ってくれているのね」 「ああ。アンタと、アンタの弟のための道具をな――これは経験則だが、妖精は、人の心を 善く汲んでくれる。この方々は、人の目を見て、想いを掬い取るのじゃ。アンタも、ワシと 同じ場所を見るが良い。そして、想うんじゃ――どうじゃ、まだ見えんか」  あ。リリーの視界に、ぼんやりと今まで見えなかったものが浮かび上がってきた。それは、 集団で姉弟で採ってきた巨大象の牙の小さな欠片を取り囲んでいる、背中に羽の生えた ちんまり可愛い人型の姿だった。それが、妖精だった。リリーは想う。どうか、ゴレムを助けて。 あの子はもっと外で沢山遊びたいの。まだまだ子供なのだもの、可哀想だわ。どうか、 人目を避けられる道具を……ゴレムに、私達に、与えて―― 「見えたか……ああ、布ですか。しかし、いつ見てもいいですなぁ。いつか私も、あなた方が 創るような物を創ってみせますわ……死ぬまでに、必ず――」  老人は、子供のように目を輝かせて、職人妖精達の仕事を食い入るように見つめていた。 リリーは、目を見開いて想い続け、コルチは変わらず寝息を立てていた。ゴレムは、山あいに 刻まれた巨大な足跡を棒立ちで眺めていた。  そして夜は過ぎ、職人妖精達は仕事を終えた。出来上がったのは、ゴレムをそのまま覆えそうな 程、巨大な白い布だった。  特別な朝だった。リリーとゴレム、そしてコルチがこの家を発ち、話に聞いた北の街へ 向かう朝だった。だが、コルチの表情は硬かった。心に潜めている思いがはち切れそうに なっている、そんな顔をしていたのだ。