U  アイゼン=リリーに一切の不安・惑いの感情はあり得なかった。  今現在目前に在る、本来不安に満たされても決しておかしくはないこの状況――自らと瓜二つの 女性/自らの弟と瓜二つの土人形、それぞれが攻撃の意志を剥き出しにしている――それであって も、アイゼン=リリーとそしてゴレムの姉弟は全く揺らいでいないのだ。  ただ、ひとつ。  アイゼン=リリーの中に芽吹いているのは、攻撃の意志。しかし、それは揺らがぬ青い炎。とて も静かな感情。あくまでも冷静に、アイゼン=リリーは自分の姉であると語る女――アイゼン=ア イリスを見据えていた。  コルチの言葉に、アイゼン=アイリスの登場を示唆するところはなかった。全てはそこに起因し ている。 「…許さない、ですって? 貴女如きが……アイゼン=リリー、貴女如きが、この私に……アイゼ ン=アイリスに対して、許さないと言うの? その言葉は一体どこから飛び出しているのかしら ね!?」  アイゼン=アイリスは、目に見えて苛ついていた。本人曰くの「妹」が歯向かってくるに終わら ず、侮辱さえ加えてきたことにもはや感情の抑えが利かなくなっているのだ。 「あなた――煩い。黙っていられないの? 大体、あなたに怒る権利などないわ。自分の弟を馬鹿 にされたら、あなたは許せるの? してはならないことをしたのは、あなた。私はそれに抗うだけ ……そう、それだけなの。それに、私達は、この山を越えることに"なっている"。あなたの存在に 関係なくね」  アイゼン=リリーの言葉の終わるより先に、アイゼン=アイリスは手を振るった。その手に握ら れていたのは、釣竿だった。それはアイゼン=リリーの持つ"ル・レーブ"とも瓜二つであった。  釣糸は、アイゼン=リリーの手首に鋭く巻きついた。 「貴女の主張なんて知らない! 私が憤っているのは――貴女如きがこのアイゼン=アイリスの存 在を軽く見た、そのことただ一点……だけど……うふふ、そうね、視点を変えれば、貴女の仕出か したことは、私にとって有益だったのかもしれませんわね? だって……躊躇いなく……!!」  アイゼン=アイリスは、ぐいと釣竿を引いて、アイゼン=リリーの手首を激しく締め付けた。 「…この糸はね、磨きに磨きに磨きに磨いて……切断力を極限にまで高めていますの。貴女如きの 手首なんて、もう、すぐに離れてしまいますわね――ふふ、アイゼン=リリー? 想像してごらん なさいな。貴女の手首から先が、貴女が弟と宣うその大きさだけが取り得の木偶にぼとりと落ちる、 そのユカイな光景を……いえ、想像するまでもありませんわね。何せ、もう、すぐのことなのだか ら――何、その眼は?」  アイゼン=アイリスの表情に滲んだのは、戸惑いにも似た感情だった。彼女は、ここに到るまで 何人かの人間を同じような手法で追い込んでいたが、皆最後は泣きながら許しを乞うてきた。しか し、アイゼン=リリーは違った。  その眼には、先ほどと全く変わりのない確信があった。 「…なぜ? 貴女の手首は、もうすぐにでも切断されてしまうのよ? 私が、もう少しだけ力を込 めれば、いとも容易く……それなのに、なぜ? なぜ貴女は、そんな風にしていられるのよ!?」 「だから、何度も言っているでしょう? 今現在、あなたが私に対してできることなんて――」  アイゼン=アイリスは、気付けなかった。  下方から、得体の知れない存在が近づいてきていることに。 「――何一つ、ありはしないのだから」