その建物は堅牢だった。  海に沈んだまま、悠久の時を過ごしてきた。それにも関わらず、海水が浸入してくる気配は微塵 もなかった。  真っ白な広い部屋、そこには白いドレスを着た女しかなかった。  女は、ただ立っていた。しかしその心は、沸き立っていた。  何かを待っているかのように。  ――締め付けられる。  アイゼン=リリーの体は、ギシギシと鳴いていた。  海底で一歩ずつ、確実に歩を進めていく。地上ならば、ものの数分で辿り着ける距離が、今はと てつもなく遠く感じた。  しかし、見えている。アイゼン=リリーはその建物を視界に捉えている。感じている。その中に 何か意志あるモノが潜んでいると。  ――違う。  潜んでなどいない。ここまで、意志を前面に押し出しているモノを、潜んでいるなどとは言わな い――  女――アイゼン=サルビア。  アイゼン=サルビアの意識に混在している"もう一つ"が、声を発した。 「――ええ、そうね、リアトリス。大丈夫。あたしが、あんな無自覚なコに敗れるわけがないじゃ ないの……"あの時"のことは、ううん、もう。思い出させないで! あたしに、屈辱は――」  アイゼン=サルビアの表情に狂気が浮かび上がって、その目線が端の扉に向いた時、口角が歪に つり上がった。  水滴が地面に落ちる音がする。濡れた布の端が擦れる音がする。近づいてくる。 「…やっと、来たァ。リアトリス。消えて――」  扉が開く。  アイゼン=サルビアの意識は、アイゼン=サルビアだけのものとなった。 「…何、その笑顔は」  アイゼン=リリーは、冷めた目をしている。全身ずぶ濡れで、ゆらりとした佇まいだった。 「嬉しいの。妹に久しぶりに逢えて」 「私は、嬉しくも何ともない……だってあなた、私のことを――」 「憎んでいる」  そうアイゼン=リリーを遮って、アイゼン=サルビアはさらに続けた。 「そう言いたいんでしょ? あたしが、あんたを憎んでるって、そう言いたいのよね?」 「……」 「そうだと思う?」 「…そうなんでしょう」 「自惚れてんじゃないわよ」  砕けたガラスの先端のような、鋭い言葉。アイゼン=サルビアの口からは次々とそれが飛び出し た。 「憎むっていう感情はね、自分と同等か格上の相手に対して生じるものなのよ。解る? どうして あたしが妹であって格下のあんたを憎まなければならないのかしらね? そう、あたしはあんたよ り全てにおいて上。頭も、美貌も、強さも……何一つ、負ける要素はないのよね」  アイゼン=リリーは、聞き流していた。アイゼン=サルビアは明らかに挑発している。ここで挑 発に乗っても、仕方がない―― 「…私がここに来たのは、あなたに訊きたいことがあったから。争うためではないわ。教えて欲し いの……あなたには、記憶があるのでしょう?」 「ふん……本当に、思い出したいの?」 「ええ」 「大丈夫かなァ……あんたには、辛いかもしれないわよ?」 「…辛い?」 「だってあんた――"偽善者"だもの」  アイゼン=サルビアは、扉に向かって歩き出した。  アイゼン=リリーとの距離は、どちらかが手を伸ばせばすぐに届いてしまうところまで縮まった。 「それでいいなら――」  アイゼン=サルビアは、アイゼン=リリーの後頭部に両手を回した。 「思い出させてあげる」 【アイゼン=リリーとアイゼン=サルビア】