X  ゴレムは惑わない。  その泰然たる様は、アイゼン=アイリスにとって屈辱だった。  ――お前など、まるで恐れていない。  そう、目で語られているようだった。ただの塊であるはずの、目に。  しかし、アイゼン=アイリスは、ゴレムを恐れていた。怒りは、恐怖を覆い隠すベールとしても 作用していた。  もっとも、たとえ気付いていたとしても、決してアイゼン=アイリスは恐怖という名の存在を認 めはしないだろうが。  怒りは即ち殺意。だが、絶対にゴレムを破壊してしまうわけにはいかない。アイゼン=アイリス とアイゼン=サルビアに共通する目的を達するためには、一時の怒りに押し流されてしまうわけに はいかなかった。  ――憎い、リリーのゴーレム!  アイゼン=アイリスは、自分のゴーレムから離れた。そして、水中でゆっくりと、ゴレムに接近 していく。水中では、釣竿は使えない。しっかりと狙いは定められていた。場所は――額。  ゴレムも、自分に近づいてくるアイゼン=アイリスをただ眺めているわけではない。しかし、叩 き落とそうとした刹那、身動きが取れなくなった。ゴーレムがゴレムの身体を締め付けたのだ。さ すがの怪力も、自分と同じサイズを持つゴーレムに抱き締められては、振り解くこともままならな かった。  こうして悠々ゴレムの頭に降り立ったアイゼン=アイリスは、赤いドレスの胸の内から、先の尖 ったネックレスを取り出した。 「…!?」  アイゼン=リリーは、狼狽した。 「上手くやったみたいね……"お姉様"」 「ゴレム! どうしたの、ゴレム!?」 「ムダだって。喚くな!!」  アイゼン=サルビアの声は、真っ白な空間に響き渡った。ジイィィィ、ン、という音が止むのも 待たず続けた。 「緊急停止装置、っていうのかなァ……付いてるのよ。知らなかった? まだ、思い出してない ィ? "お姉様"がそれを押したの。これで、あんたのゴレムさんは、動けなくなりましたとさッ」 「…どうすればいいの?」 「…は?」  アイゼン=サルビアは、アイゼン=リリーの態度に面食らった。まさか、この状況で尋ねてくる とは―― 「起こすことだってできるんでしょう」 「…あのねえ。教えると思う? あたしの――"お父様"の目的のため、あんたのゴレムが必要なん だから。来るべき時が来るまで、ずっと眠っていてもらうわよ。当たり前だよね!?」 「別に、教えてもらおうなんて思っていないわ。今のは、最後に確認しただけ。"きっと、最後ま で理解し合うことはできない"とね。あなたと私は違う。だから、私も、私の目的のために動く― ―」  アイゼン=リリーは、動く方の腕で、背中のル・レーブを取り出した。 「あんたの目的ィ? 記憶失くしてた分際で、リリーちゃんは一体どうして目的をもてたって言う のかしら?」 「たった今よ。ここまでの目的は、コルチが与えてくれた。だけど、ここからは、私の意志」  ル・レーブは速度を増した。空気を切り裂く音が響く。アイゼン=リリーは、徐々に回す速度を 速めていった。 「…あなた達の目的を達成させない。それが、私の――」  釣針が、天井のフックに掛かった。  アイゼン=リリーは、後ろに飛び上がった。 「――そして、生きる人々の意志!」  しなりを利用して、アイゼン=リリーは天井に一直線で飛んだ。部屋はほとんどが壁で覆われて いるが、天井には数箇所、ガラス張りの箇所があった。ピンポイントで貫こうとする力に、ぶ厚い ガラスは悲鳴を上げた。 「詰めが甘かったわね。両腕を封じれば良かったのに」 「…るさい」  ガラスは軋んでいる。アイゼン=サルビアもまた、軋んでいた。 「…ふん。でもさ、あんた、起こす方法分からないじゃない。邪魔なんて出来ない。無力なあんた に出来ることは、ここを水浸しにすることくらい――」 「十分だわ。それに、問題ない。私が知らなくても、ゴレムは知っていたもの」 「…なに?」 「ゴレムは――」  ガラスは、砕けた。 「…ふん。ふん。ふんだッ!!」  アイゼン=サルビアは、愚痴りながらびちゃびちゃと歩いていた。アイゼン=リリーはもういな い。独りに戻っていた。 「アイゼン=リリー……ストケシアめ……ズルいのよォ、ルピナスを独り占めにしてェ……! ス トケシアなんかより、リアトリスの方が可愛い黙れリアトリス」  一瞬リアトリスに占められた意識を、アイゼン=サルビアは一瞬で取り返した。 「…別に、私はリリーに負けていない……そう、本番はこれから。リリーなんて、どうとでもなる。 コイツさえブチ込んでしまえば……!」  アイゼン=サルビアは、先の尖ったネックレスを鳴らした。そして、口元を激しく歪ませた。 「…だから、悔しがる必要なんてないのよ、アイゼン=サルビア……そう、ドラセナさえ抑えてし まえば、リリーは孤立するんだから」  そして、アイゼン=サルビアは奥の部屋の扉を開けた。その広い部屋の中央には、人間の脳を収 めた透明なケースがあった。アイゼン=サルビアはケースを大事そうに抱えた。 「そして何より、"お父様"があたしと一緒にいてくれるなら――ねえ、"お父様"。あたしは、リ リーなんかに負けないよね? ねえ、スターチスお父様――」  脳は、何も言わずにいた。